なぜ、この講座に参加する親たちは、不登校の悩みを抱えているのに、気持ちが明るくなるのか?

講座が進むにつれて、悩みが少しずつほぐれていく

 

講座が進むほど、参加者の顔はどんどん明るくなってくる。発言は前向きになっていく。

「とりあえず、やってみます」
「まずは、本人に訊いてみますね」
「もっと、工夫してみます」

講座に参加した当初は、「なにか答えが欲しい!!」と切実そうな顔をしていたかたも、だんだん表情が柔らかくなっている。

講座に参加した人たちは、どんどん積極的になっていく。行動的になっていく。

「うちの子がなに考えているか分からないんです」
「たぶん、こういうことで悩んでいると思うんですよ。たぶん…」

と言っていたかたが、

「何考えているか分からないので、チャンスを見つけて訊いてみます!」
「この前、一緒にカフェへ行かないか誘ってみたんですよ」と、笑顔で語るようになる。

真面目なかたほど、子どものことばかり考えて、自分のことがなおざりになってしまう。自分がしんどいことすら忘れていることがある。

「なんとかしたい。なんとかしたい。なんとかしたい」

その一心で参加される人も多い。

でも、その気持ちも少しずつほぐれていく。

 

自分の本音を発することが苦手で、自分への思いやりの言葉を思いつくことも、表現することもできていなかったな。と今は思えます。
これまで自分自身に優しくしているつもりでしたが、自分の心の深い部分には寄り添えていなかったと気がつきました。
親が不安だと子どもに良くないと自分に言い聞かせ、私自身の本音に蓋をしていました。
これまで、無理に気にしないように気持ちに蓋をしたり、前向きな考え方をしようとしていました。
自分が楽しむことにいつも罪悪感をもっていました。これからは、自信をもって(笑)堂々と出かけようと思います。
自分が頑張って前向きに生きれば、子どもに伝わる、ということで、無理にでも頑張ろう!と思っていたけど、なかなか出来なくて自分にガッカリする、という具合でした。
でも、出来る範囲で、自分が楽しく感じるように、やりたい!と思うことをすればいいと気付かされました。

講座が進むにつれて、参加者の人たちは“どうしたらいいか分からずに悩む”から “出来ることを見つけてどんどん取り組んでいく”に変わっていく。

 

不登校はある日、突然やってくる

“不登校”とは、親にとって寝耳に水の出来事だ。

「え? まさか自分の子どもが…」と思う。

なんとか学校へ戻そうとしても上手くいかない。

本人に理由を訊いても「分からない…」と力なく言う。

私が悪かったのか…?

どうしても原因を探したくなるし、自分の子育てが悪かったのかと過去を振り返り、落ち込む。

YouTubeや本を見ても、いろんな人が、いろんなことを言っている。

どれを信じたら?

迷い、悩み、苦しくなる。

周りからかけられる優しい言葉すら、鬱陶しく感じてしまう。

 

不登校は進化の過程 -さなぎから蝶へ-

 

不登校とは、家族に課された試練だと僕は思っている。

僕自身、中学3年生のときに学校がしんどくなり、不登校、引きこもりを経験した。

正直、もう二度とあんな苦しい思いはしたくないし、出来れば経験したくなかったと思う。

けれど、間違いなく今の自分がいるのはあの頃の経験があってこそ。

あの経験をしたからこそ、たくさんのことを学び、家族の愛や絆を作ることも出来た。

妻の両親も含めて、親孝行したいと強く思うのは、「迷惑をかけてしまった」という思いと、「出来ることをしたい」という感謝の気持ちから、だ。

不登校とは決して不幸なことでもないし、早急に解決するべき問題でもないと思う。

ずっとゲームをしてる。
あまりご飯を食べない。
運動も全然しない。
外にも出ない。
人との関わりを避けている。

親としては、とても心配になる。

「なんとかしたい」と思うのは当然のことだ。

僕は不登校とは、脱皮みたいなものだと思っている。

イモムシがさなぎになり、蝶へと変わるように、進化の過程だと考えている。

これまで出来たことが出来なくなっている様子を見ると、「退化した」と考えてしまう。

けれど、そうじゃない。

子ども自身が一番もがいている。

 

僕を変えたのは思いもよらない言葉だった

 

大学生になって、僕は京都の下宿に引きこもった。

なんとかしなくちゃ。
なにか変えなくちゃ。

変わりたい思いは強くあったけれど、どうしていいか分からなかった。

必死にアクセルを踏んでいるのに、前に進まない。

もどかしい。

ブレーキを踏みながら、アクセルを踏む感覚だった。

最終的に、自分の気持ちをラクに出来たのは、誰でもない自分だった。

でも、そこには導いてくれたある人の姿があった。

否定するでもなく、肯定するでもなく、ただただ寄り添い、僕に必要な言葉をくれた人がいた。

誰かが訊いたら、「え? 厳しいですね」と思うかもしれないような言葉だった。

しかし、僕の心にはどんな優しい言葉、聞き心地の良い言葉よりも響いた。

翌日には、過去の自分から脱皮することが出来た。

世界が違って見えた。

自分を縛っていたのは、自分自身だったことに気がついた。

 

不登校の子どもに対して、親として出来ることは、優しい言葉をかけることではないと僕は思っている。

子どもがもがき苦しんでいるところへ一緒に潜り、同じようにもがく。

心に届くのは、テクニックでもなければ、響くフレーズでもない。

本当の意味で子どもに寄り添い、一緒になって悩み、迷い、進んでいくこと。

講座が3ヶ月あるのは、子どもと一緒に歩んでいく道を僕が伴走するためにある。
(講座は2週間に1度。計6回ある)

 

たった一人でもがき苦しむのはしんどすぎる。

でも、講座は一人じゃない。仲間がいる。

同じ気持ちを共有し、苦しんでいる現状を話すことで、勇気が出てくる。

「やってみよう」という気持ちが湧いてくる。

子どもを矯正しないで一緒に修行していったら、不登校があったから今の自分たちがいると誇りを持って過ごせる幸せな時がやってきそうです。呪いの言葉に負けずに、彼らしく生きていける道探しを選択肢を提示してあげながら手伝っていってみようと思いました。
私自身、現地受講の皆さんと不登校あるある話ができて、孤独感が軽減できています。これまで、子どもの話を周りの人にすると、「◯◯ちゃんしっかりしてるから大丈夫」「やる気出るといいねー」という反応で、徐々に子どもの話を人にしなくなりました。
講座に行くと「あー、わかる」ということがいっぱいでほっとします。
子どもたちの将来に関して漠然とした不安に襲われていましたが、講座を受け始めて、薄皮を剥ぐように少しずつ不安が和らいできた感じがします。
私は何も言わず待つべきと思っていましたが、ある程度決めてやることもアリなんだとわかり、私にもまだやれることがあると思えてホッとしました。

 

誰にも分かってもらえない – 不登校の民が抱える孤独 –

 

僕自身、学校がすごく苦手なタイプだ。

人見知りだし、未だに風呂に入ることが難しい。出来るだけ仕事以外では人とも関わりたくない。

先日も招待されたパーティで、1時間ほどトイレに隠れていた。

僕は、不登校になる子の多くは、学校がしんどい気質を持っていると思っている。

たとえば、完璧主義、こだわりが強い、人の目を気にする、繊細、音に敏感などなど。

ある種の民族だと思い、「不登校の民(たみ)」と名付けた。

正直、”不登校の民”の気持ちは、違う民族の人たちには決して分からないと思っている。

僕は高校生のとき、友達と外食をするとき店を選ぶのに3時間かかっていた。

この前は、よく行くスタバで「いつもありがとうございます」と言われただけで、翌日から行けなくなった。

月額契約していたコワーキングスペースは、毎朝受付で「田中さんおはようございます」って言われたので、3日で辞めた。

未だにお風呂へ入るのに2時間くらいかかるし、食事が苦痛だ。

みんな子どもの様子を見て、「そんなんじゃ社会で生きていくことが出来ない」って言う。

でも、僕はなんとか社会人としてやっている。

みんな子どもを変えようとする。

人見知りを直そうとするし、外に出ることを勧める。

僕自身、小学生のとき、スーパーで友達を見かけたら隠れていた。すると、親に叱られた。

出来ないことは出来ないし、しんどいことはしんどいのだ。

でも、その気持ちが民(たみ)ではない人には、なかなか理解してもらえない。

だからこそ、僕は子どもたちの代弁者になりたいなと思っている。

民(たみ)代表として、子どもたちの思いや気持ちを伝えたいと思って、この講座で話している。

今回の講座で田中先生がおっしゃっていた、不登校の民の特徴が、うちの息子のことを解説しているのかと思うほどある、ある、ばかりでした。これまで私は息子に対して「もっと楽に考えたら」「なんで自分から言い出したのに、放棄するのかなあ。根性が無いなのかな」と思っていました。しかし、変えられるものならとっくに変えている、それが出来ないから苦しいんですね。
民の状態や背景がとてもよく理解できました。これは学校は無理だな、とてもしんどいしいけないはずだなとよくわかりました。
今回、最も驚いた発見は「食べることがしんどい民族」です。田中さんの、「お腹が空いている時に食べられない」が衝撃でした。
不登校の民の話を聞いて、そーゆーことね!と妙に納得。
謎だらけだった息子の頭の中が少し見えた気がしました。そして親の気持ちの持ち方もめっちゃ分かりやすく説明していただいて、未来に希望が持てました。
これは生きていくの大変だわ〜自分の物差しなんて使えないなと思ったら、気が楽になりました。
「マサイ族の誇りを持ちながら日本で生きていく」という表現が絶妙です。辛そうに見えるので矯正したくなりますが、そのままで生きていける方法や環境づくりを考えていけたらと思います。

 

子育てを知れば、子どもの本当の気持ちが見えてくる

僕は、子育ては技術だと思っている。

決して、センスではない。

でも、キチンとした子育ては今まで習ってきていない。

習っていないのに、上手く出来るわけがない。

子どもが不登校になると否が応でも自分の子育てについて考えることを迫られる。

しかし、どこにも答えは落ちていないし、誰もやりかたは教えてくれない。

結果、答えばかりを求めてしまう。

「どういう声かけをすればいい?」
「どのように関わればいい?」
「こういうとき、どうすれば?」

なぜこうなるかというと、不安だから。

なにが合っているか分からないから、なにをするにもビクビクしてしまう。

おそるおそる子どもと関わることになってしまう。

子育てには勘所がある。

押さえるべきポイントがある。

それが見えてくると、自信を持って子どもと関わることが出来る。

 

昨日、子どもが「夜のお風呂が怖い」と言いました。以前の私なら、家の中なんだし浴室は明るいんだから怖くないでしょ!と子どもの気持ちを聞かずに私の考えで言いくるめていたと思います。でも、じっくり訊くことで、子どもが思っていたことと私が思っていたことに大きな差があったと気づけました。
今回とても腑に落ちた言葉が「子どもと同じ方向を見て、二人三脚で進んで行く」という言葉でした。
これまで、なんとか正常な方向へ軌道修正してあげるのが親の務め、のように思っていましたが、「軌道修正」ではなく、「その子の向かう方に親が伴走する感じ」、というのがとても分かりやすかったです。
これまで、私の不安を消すための言葉かけを子どもにしてきたなぁ、と思いました。そして子どもの可能性を信じてなかったことにも気づきました。
「好奇心を持って子どもと話す」
これが肝だったのかなと思いました。息子とは、趣味の話であれば際限無く話が弾むのに、学校や将来の話になるとぱったり進まなくなる。これは、私の中に「こうあってほしい」という期待みたいなものが見え隠れしていたのかもしれません。
講座の内容を実践をしてみると、子どもとかなりスムーズに話せました。不登校になった時の話や、政治の話など結構たくさん久しぶりに話してくれてました。
講座を受けて「トライ&エラーだ!」と思えたことで一歩踏み込めたように感じました。

 

3万円の講座は、高い!? – ほんとに参加しても大丈夫?-

この不登校連続講座の受講料は、計6回で、30,000円。
1回あたりに換算すると5,000円だけれど、それでも、参加する前にはどうしても躊躇する。

「いやぁ、これまで市がやっている無料のセミナーとか無料のイベントばかりに参加していました。なので、今回参加するかどうかすごく悩みました。だまされていたらどうしようか? なんてことも考えました」

3万円は高額だ。
高級ディナーだって食べられる。

「でも、思い切って参加してみて良かったです。子どものことをより深く理解出来たし、私に出来ることがたくさんあることが分かりました」

「ほかの講座やイベントに比べて内容も充実しているし、この金額は正直安すぎると思います」なんて声もあった。

 

6回の講義はふりかえると、あっという間でした。参加する前は、自分の悩みに役立つのか、参加するかどうか最後まで悩んでいました。学んだことを、できることから、実践させていただいたことによって、自分の悩みが、消えていき、嬉しく思っております。参加されている皆さんの悩みも、読ませていただき、悩んでいるのは、自分だけではないのだと、心強く思いました。
今回連続講座という形で教えていただいて、初めて知ることばかりでしたし、毎回物凄い情報量で、こんなに内容の濃い講座をオンラインでもやっていただけることに、ただただ感謝しかありません。
あと、純粋に学びの楽しさを久しぶりに感じて、毎回わくわくして受講できました。
欠席しても動画視聴で勉強できるということで講座に参加しました。
講座では毎回、「なるほどそういう風に考えればいいんだ」「そうなんや」と、ためになることを本当にたくさん教えていただきました。自分が学ぶことによって落ち着いていられるので、子どもとの関係は確実に良くなっていると思います。
連続の講座を受けるのが初めてだったので、1回行ってみて嫌だったらどうしようかなと思って少し躊躇していました。参加して、考え方が大きく覆されました。子どものありのままを受け入れることで、将来の不安が消えていきました。子どもも、どんどんたくさんのことを話してくれるようになりました。笑顔が増え、どこかへ行ってみたりやってみたりとチャレンジすることが増えました。
講座に参加することで、仲間が増えました。こんな機会がないと絶対に出会えなかった人達と出会えたことで、共感しあえる人がいるだけでこんなにも心強いんだなと知りました。
子どもが不登校になり、将来どうなるのか? このままヒキコモってしまうのでは? と不安に感じていました。また、不登校状態の中、子どもとどのように接していいのかも分からず、講座に参加することにしました。講座に参加することで、子どもに対する接し方や考え方を学び、さらにそれを実践することにより、子どもに対するネガティブな感情からポジティブな感情と変化し、気持ちの上でも随分楽になりました。
参加する前に比べ、親子でお互い笑顔が増え、良好な関係が築けるようになりました。子どもの笑顔も増え、将来の話なども前向きにできるようになっています。

 

講座は分かりやすくて楽しいです。笑いも盛りだくさんで、質問にもじゃんじゃん答えてくれます。

 

一人じゃない。だから、一緒に乗り越えられる

僕自身、この連続講座はすごく楽しみにしている。

参加者の成長がとても嬉しい。

今あるすべての知識や経験、考えを伝授したいと思い、惜しみなく伝えている。(だからこそ、この講座はリピーターの参加が多い)

講座の中では、親としてショックを受けることもあると思う。
(実際に感想で、「ショックを受けました」というコメントはときどきある)

これまでの子育てについて後悔したり、自分自身のことで落ち込むこともある。

現実に直面して、目を覆いたくなることもあるだろう。

でも、この講座は一人じゃない。

学校のゼミのように、仲間がいる。

東京の講座では、現地受講のみんなは毎回講座が終わったあとは、飲みに行っているみたいだ。

オンラインでも、みんなの投稿を見ると、勇気が出る。

子育ては、難しい。

不登校は、良く分からない。

難しく、良く分からない中で取り組むのだから、苦しくて当たり前だ。

でも、そんな苦しくて、しんどい子育てを、少しでも気持ちがラクになり、楽しく取り組めるようになればと思って、この講座をおこなっている。

 

いつか親子でこの出来事を笑って語れる日が来る

不登校の子どもにはチカラがある。

真面目でガンバり屋の彼ら、彼女たちには、無限の可能性がある。

学校に行く or 行かない

なんてものは、些細なことに過ぎない。
(なかなかそう思えないけれど)

いつか、子どもが成長し、立派になったときには、きっと子どもが言うだろう。

「あの不登校の時間があったから、今の自分がいる」と。

そして、きっと言ってもらえるはずだ。

「あのときは、ごめんね。そして、ありがとう」と。

不登校は、親にとっての修行だ。

苦しい時間でもある。

でも、人間として成長する機会になる。

そして、愛を確かめる時間にもなる。

家族の絆を強める時間にもなる。

子どもと向き合い、自分と向き合う。

しんどい時間も、いつかは良い思い出になる。

待っているのは、希望だ。

親として、あなたにはまだまだ出来ることがたくさんある。

陰から見守っている時間なんてない。

ここには、一緒に泣き、笑い、もがき、苦しみながら共に歩んでいってくれる仲間がいる。

あなたは、決して一人じゃあない。

 

投稿なぜ、この講座に参加する親たちは、不登校の悩みを抱えているのに、気持ちが明るくなるのか?D.Liveの最初に登場しました。